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スティル・ライフ
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「本当の自分」に目覚めて
お気楽に人生を遊びたい人のブログです。

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引越しします

2015/08/31 15:08
どうやらこのウェブリブログのスマートフォン版がバグ?を起こしているらしく、とても読みづらいとのこと。ビッグローブさんに問い合わせたところ、修復に時間がかかり今のところ目途がつかないらしい。。。

そういうことなのでこちらに
     ↓
http://0stillness.blog.fc2.com/

お引越しをしました。


これからも宜しくお願いいたします!






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近況

2015/08/28 13:50
特に理由があったわけでもなく「とにかくやめよう」と突然思い立って、後先も考えず強引に会社を辞めて4ヶ月くらいたった。

退職後、とりあえずお金になるだろうと安易な気持ちでやり始めた仕事(自営)は、ダイレクトレスポンスマーケティングのような金儲け至上主義的ビジネス思考をすると、頭痛、めまい、吐き気などの症状が出てしまうため(笑)1カ月もしないうちにあっけなく挫折してしまった。

挫折というよりは、ビジネスとかお金とか成功とか自身の向上を目指すような生き方にはほとほと嫌気がさしていて、もう自分にはできないのだなあと心の底から思えたのだ。

不思議なことに自分のそういうところがわかってからは、働かなければいけないという思いはまったく湧いてこなくなった(笑)。月に一度、通帳の残高が減っているのを目にするときは一瞬心臓がバクバクしたりしたりするけれど(笑)、だからといって、この先どうなるんだろう?!的な不安や、次の仕事を探そうなんて意欲も湧いてこない。(困ったもんだ汗) 以前の自分だったら働かないこと自体が恐怖だったので(笑)、そんな自分がよくここまで変わったものだな〜としみじみ思ってしまう。(思いつきで会社を辞めたことも含め)


というわけで、ここ3か月くらい毎日のんびりと坐ったり散歩しながら好きな探求をしてすごしています。

そう言うほど熱心に探求をしているわけではないけど、自分の興味があまりにも探求だけにしかないので(苦笑)この自分のアホさ加減に呆れてしまっていました。


でも、そのかいあってかようやく最近、この自分がいないということがわかってきた。


とはいえ、一瞥の体験をしたわけでもなくダイレクトパス(直接の経験)を通して、地味〜にわかってきたので(笑)、なんだか拍子抜けな感じがしています。


そしてホッとした感覚と同時に、一瞥の体験もなく徐々にこういうことが明らかになってきていることに寂しい気持ちもあったりします。


地味にわかってきたとか徐々に明らかになってきたとか書いていますけど、明晰さの中では自分がいないことは明白なのですが、疑いや疑問(思考)がまだまだ浮上してくるので、今はまだ「わかっているけどやめられない」そんな感じです。


これはもう少し思考の性質(実体がないことetc)が腑に落ちてくれば、思考は単に思考であると確信できるようになり、疑い(思考)が湧いてきてもそのままにしておけるようになると思います。


なので探求が終わったわけではないですが、少しずつ着実に、日々自分がいない感じが深まっていて、あとは時間の問題というか、そのうち終わるだろうと感じています。


というか、思考とはまったく関係なく、いつでもこの明晰さは目の前にあるので「思考が何を言おうと放っておけばいいのに!」と、これを書いている今は、そんなふうに思えたりして、この思考のいい加減さに笑ってしまいます(笑)


今までは完全にわかったった人になるまでブログは書かずにおこうと思っていましたが、この完全にはわかっちゃってない状態から無責任に自由に自己満足的に書いていくのも面白いかなと思い、これからは気がむいたときに書いていこうと思います。


というわけで、これを読んでいいただいている皆様、久々の更新にもかかわらずまた遊びに来ていただいて、ありがとうございます!

これからも応援よろしくお願いします〜!
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空っぽなこれ

2015/03/22 14:15
ボクがダイレクトパスにはまっているわけ


その1


マグカップをじっと見ます。


最初、カップはあまりにもリアルで

とても色だけで構成されているようには見えません。


ボクの思考はよくこんなことを言います。

カップは色なんかではない、カップは物質だ。

物質を見ているのだ、と。


カップを見て「物質を見ているのか?」

それとも、「色を見ているのか?」 と

思考はそわそわと落ち着きがありません(笑)


このカップ(物質)が色?!

ウソでしょ?? と混乱します。



そのうち、ふと

カップが物質なのか、それとも色なのか

そんなことにこだわっているのは

そもそもが、思考ちゃんだと気づきます。


これじゃ気づきの視点に立てません(笑)



それに気づくと

騒ぐ思考をそのまま放っておけます。



これのどこが色なのだ? と悶々とするのを止め

お〜、これって色でできているのか♪ と好奇心を抱きながら

超ド級の高画質で映し出されているマグカップを

(無理矢理に色として見ようとすることもせず)

ゆったりと気づきの視点に立ってただ見ます。



そのうちリラックスしてくると

焦点が定まらなくなってきて(歳のせい?笑)

意図的に合わせていた焦点が

自ずとゆるんで、視覚全体へと広がっていきます。



で、あることに気づきます。


それは・・・、カップだけを切り取って

カップだけを見ることはできないということ・・・。


カップと一緒にテーブルやPC、窓、目薬、

自分の手や、頭のない身体etc。。。


実は、目に映るすべてを見ていたということに気づきます。



ここで、グレッグ・グッドの言葉が浮かびます。


見ることが自分に生じるとき

人は視覚(気づき)を直接経験している。

視覚の直接経験ではカップは存在しない、と。



このボクがカップに焦点を合わす前から

分割不可能な一つの視覚(気づきのスクリーン)が在ったのです。



まさにダグラス・ハーディングが指し示す 単一の目!(嬉!)


しばし


世界を包含する大きな一つの目と化している

スクリーンのような、この自分に酔いしれます(笑)



そのうち

思考がなければ

この視覚(気づきのスクリーン)には

何の意味も分別も境界もないことがわかります。


カップも、頭のない身体も、この「自分」も

思考の意味づけがなければ、どれもが同じそれなのです。


カップや身体などと言葉にする前、

色と言葉にする前、

気づきと言葉にする前の、見えるそのままのそれ。


それらは視覚(気づき)に映る像(気づきのみかけ)でしかないのです。



主体(観点)も対象もない

見ること(気づき)だけが在るのです。


あるのはこれだけ


今、流行りの 「誰もいな〜い♪」

空っぽなこれ!



以上、これがボクのダイレクトパスにはまっているわけです。


それではまた来週〜!


久しぶりのクリック、ありがとうございます!
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ご無沙汰しておりました!

2014/10/05 15:01
みなさま、おひさしぶりです。


ここのところ手間暇かけて文章を書くよりも、ダイレクトパスをしたりして自分が気づきであることを満喫しているほうが楽しくなってしまい、このブログもかなりさぼり気味になってきました(笑)


でも、これだけ更新していないのにもかかわらず、毎日誰かが遊びに来てくれているみたいなので、これからは整った文章とはいきませんが、文章にする前の気づいたことのメモ書き程度のものは少しずつUPしていこうかなと思っています。(今のところ思っているだけですが笑)



先月末、アマゾン・アソシエイツなるところから紹介料の支払い手続きをしてくれとのメールがきた。なんだろうと思い調べてみると、なんと!このブログから ヒロさん翻訳の「気づきの視点にたってみたらどうなるんだろう?」が、10冊も売れているではないか(驚!)

いや〜ビックリした。そんなに売れるなんて(嬉) 相方の masumi さんも本のアフェリエイトをやっているのだが、この数字はけっこう優秀ではないかとのこと。

このブログから買ってくださった皆様、本当にありがとうございますっ!
で、この本を翻訳したヒロさんの努力にもあやからせていただいた感じで、ヒロさんにも本当に感謝です。


このダイレクトパスの入門書「気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?」のいいところは、一瞥の体験や神秘体験なんかしなくても、ダイレクトパスで調べてみれば、いつでもどこでも自分が気づきであることがわかることです。で、何度も何度もやっているうちに、自分がそのままで気づきだってことがわかってくるし、気づきってそもそもが非二元でしかありえないことがわかってくる。で、あの ジョーイ・ロット が連発する「これ、単にこれ」の意味もわかってきて (て言うか意味がないことがわかる笑) ジョーイの記事を読んでいると「お〜、そういうことか!」と鳥肌が立ってきたりする(笑)

なので、まだ読んでいない人はこちらからどうぞ!(しつこい笑)

気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?―ダイレクトパスの基本と対話(覚醒ブックス)
ナチュラルスピリット
グレッグ・グッド

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?―ダイレクトパスの基本と対話(覚醒ブックス) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


で、ついでですがヒロさんの新しい翻訳本がまた出ます。なんでもダイレクトパスやダグラス・ハーディングが好きな人にはお勧めのようですよん! ボクは即予約済み(笑)
予約するならこのブログからどうぞ!(しつこくてゴメンナサイ笑)

ただそのままでいるための超簡約指南(覚醒ブックス)
ナチュラルスピリット
J・ジェニファー・マシューズ

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ではでは今日はここらへんで〜


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海と波

2014/07/06 17:32
ふと思いたったときや、気が向いたとき

これ見てみよう〜、と思った時。。。


電車の中やトイレの中、職場や散歩中でも

気ままにダイレクトパスをしてみたり

ただ在ってみたりして

直接の経験にいそしんでいると



いつであろうが、どこであろうが、

気づきは遍在しているのがわかってくる。


(自分だもんね当たり前か笑)



顕れ(色カタチ、モノ、音、思考、感覚etc)は

目まぐるしく現れ続け

それらすべて気づきの見かけで


そのうち


目の前が気づき(見かけ・顕れ)で溢れてきて

え! 気づきしかないっ?!(驚)

みたいな錯覚?がやってきたりする(笑)




よく、個と全体や

気づきと気づきの見かけなどを

言い表す比喩として

海と波というのがありますが




ゆるんだまま波(顕れ・見かけ)を見ていると

その(見かけ・顕れ)背景にある

海(全体)まで、見えてくるような。。。


そんな感じの今日この頃です。



アーユルヴェーダ式白湯すごくいいです。

(まだ続いています笑)

そのうち詳しく書いてみたいと思います。



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探求熱が冷めてきた(笑)

2014/06/23 13:59
今年に入ってからゆっくりできる時間が増えてのんびり過ごすことが多くなった。

あ、金の成る木があってセミリタイヤしたわけではありません(笑) お金はないけど時間はあるのだ。 その暇を思いきり探求に充てていたんだけど、ここ最近探求熱がない(笑)

いや、ないというよりは「絶対に目覚めたい」という情熱のようなものが冷めてきた・・・というか、肩の力がいい感じで抜けて イイ感じ なのだ。
でも探求は相変わらず日課のようになっていて楽しい遊びとして続いています(笑)

ただ在るのも面白いし、グレッグの実験も面白い。最近それが上手くできなくても面白い。 なぜなら、それさえも気づきの中の顕れだから(笑)

思考も身体もこの「自分」という感覚も目の前の世界も、ありとあらゆる対象すべてが気づきの中の顕れで、その顕れすべてがまた気づきであることを見ていくのは面白くて楽しいし、気づき=私(原理)ということが知識レベルを越えて少しずつ腑に落ちているようなところも嬉しかったりして(笑) まだまだ探求(趣味みたい笑)は止められそうにありません。


話しが変わるけど、歳のせいもあって体調が長らく低空飛行していることもあり一週間前からアーユルヴェーダ式の白湯を飲み始めました(笑) 最初は白湯をバカにしていましたが意外や意外(笑)、このレポートもこれから少し書いていきたいと思います。



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ダイレクトパス

2014/06/01 17:55
画像


もう一回読んでます。

今度はさらにじっくりと(笑)


読んだり実験したりしていると

この「自分」が揺さぶられます(笑)


そうだと思っていたことが崩壊したり

点と点がつながって腑に落ちたり

あやふやなことがハッキリしたり

やっぱり!と確信を得たりしながら


「自分」が分解されて

再統合されているような感じです。

あ、再統合は不要で

それはエゴの仕業のような気もしますが(笑)


ま、そんな感じで小躍りしながら

再度、読みなおしているところで

いい加減、そろそろブログを書こうと思い

今日は、読んでみて今思うことを書いてみます。


まず、気づきは究極の主体であると説明されたあとにダグラスの実験に触れられているのですが、グレッグの言うことがとても新鮮で納得のいくものでした。

それを読んだとき、見える「無」という足場(対象)のようなものが、ある意味本当に無になり、足場を失くした「自分」が足をパタパタさせて焦っているのには笑えた(笑)

たしかに、対象など必要なく自分がそのままで気づき(自分)なのだ、というグレッグの言葉は、より直接的で自由だと素直に思えた。
(でもダグラスも大好き!笑)


で、実験をやってみてとても衝撃的だったのは、「見る」という直接的な経験ではカタチ(色)しか経験していないということ。 自分がどれだけマインドごしに(ラベルを貼ったまま)見ているかがわかった。


自分が直接的だと思っていた経験がまだまだ直接ではなかったのだ(笑)

この直接の経験のことを、この本の翻訳者であるヒロさんのサイト resonanz360 の記事のどこかで ジョーン・トリフソン がこう言っている。


「ジョーン」はまったく存在していません。

直接的な経験の話をしています。

あるのは、見える像と音と感覚だけです

「私(ジョーン)」というのは

事後の思考が作り上げたもので

頭(マインド)の中のイメージです、と。。。


本当の直接の経験ってこんな感じだ。


まさに、ダイレクトパスは

このゾーン(領域)へと自分を仕向けてくれる。

(サッカーで言うなら走ってそこへ行かされる笑)


で、この領域が ジョーイ・ロット の言っている

直接の経験ではないだろうか?(笑)


ジョーイは概念以前(直接の経験)にとどまれば

全体性がわかると言っているが、この領域がそうなのだ。


これも含めて、今まで半信半疑なまま手探りでやっていたことが、いろいろと明確になってきてホントに良かったと思う。


まさにこの本はダイレクトパスの入門書であり

近道、いや直接的な道を指し示してくれる。

まじで買いです!

気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?―ダイレクトパスの基本と対話(覚醒ブックス)
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あ、ボクはまだ目覚めていません。

でも、気づきとは恋に落ちましたよ(笑)

まだほのかにですが〜、甘美さっていいものです(笑)


ではではまた、ご報告するかもしれません^^)



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『存在』は在る

2014/05/17 16:52
海外の悟り、非二元の翻訳文が満載のサイト resonanz360 のヒロさんが翻訳の新刊がまた出る。

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amazonの紹介文にはこう書いてある。

悟りにまつわる疑問に明快に答える、ダイレクトパス(直接的な道)の入門書。

「主体」と「対象」というもっとも根源的な二元性に光をあて、
経験とは分離も境界もない非二元的な気づきだったことが明らかにされていく。

だって!

このダイレクトパスという方法を使えば自分が持っている疑問を自分自身で調べて解消していくことができ、自分がいつでも気づきとして存在しているということが分かるようになってくるらしい。

こんなこと自分でできるなんてすごい(驚!)

即予約注文しました(笑)




ボクも疑問を持っているし分離感もある(笑)

でも、気づきはすぐに見つけることができる。

誰にでもすぐに見つけられる。


なぜなら、気づきは

いつでも ここ(今)に在るし

それは自分自身に他ならないからだ(笑)


耳に注意を向けてみる。

なんの努力もなく

起こる音を拾っている。


目に注意を向けてみる。

なんの努力もなく

目に映るすべてを見ている。


鼻もそうだし舌もそうだ。

来るモノ拒まずで(笑)

なんの努力もなく

そのままの匂いを嗅いで

そのままの味を味覚している。


身体の感覚も同じだ。

注意を向けていなくても

なんの努力もなく

感覚はそれ自体でそこにある。

(感覚と感じるは同じようだ)



この見ること、聞くこと

感じることは、なんの努力もなく

それ自体で自ら立ち上がっている。




その自動的さと

そうなっている自分に

くつろぐのが好きだ(笑)


それは自分の自然な状態なので

簡単にできる (することではない笑)


今(ここ)という

無(空)的な自己を

直接的に経験できる。



ラベルを貼らずにゆるんだまま

見たり、聞いたり、感じていると


そのうち、見ること、聞くこと

感じること(五感)には分離がなく


一なる気づき(awareness)だけが

在る とわかってくる。


そして


その、在る 気づき(awareness)は

この自分(行為者)とはまったく別に

存在しているもう一つの無(空)的な自己

存在』 だとわかってくる。



存在(気づき) は 今(ここ) として在るのだ。



存在は、この自分(行為者)とは

まったく違うけど、同じ自分だ(笑)



なんて、わかったようなこと書いてるけど

ボクは、まだまだ気づきと気づきの内容に

分離を感じている (疑問がある笑)


早くダイレクトパスでその疑問(分離感)に

光を当てて解消していきたい (楽しみ!)


ああ、本が待ち遠しいな〜(笑)





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本当の自分を見るセッション

2014/05/13 06:02
ダグラスの本当の自分を見るセッションで

先日、久々に紙袋の実験をやった。


紙袋という極度に狭い空間の中で

顔と顔を突き合わすので(かなり近い笑)

恥ずかしかったり、なんだったりで(笑)

みなさま、いつも敬遠気味なのですが〜

今回はお客様の希望もあり、やりましたっ。


で、やっぱり紙袋は強烈だった(笑)


お互いが顔を取り換えているところは

神秘的だったり親密感があったりして

胸キュン体験だったりするのですが(笑)


その真逆にある自分(無)を見るとき

ぎょっとするぐらい 何もない のに驚く。

(今さらですが笑)


何の跡形もなくキレ〜イに自分がいない。


その完璧かつ徹底的に

自分が消されている感じと(笑)

その底なしの 無 に、ゾワゾワと

空恐ろしさを感じるくらいだった(笑)


いつもの指差し実験よりも

紙袋の中のほうが(狭いだけに)

この自分が消去されていて

無(観ている無)だけが在ることを

ハッキリと眼のあたりにできるのですよね(笑)




で、セッションを受けていただいた方から

こんな嬉しいご感想をいただきました。



Sです。

今日は、ありがとうございました!

お礼が遅くなって、すみません。

買いものをしたりして、さっき帰ってきました。


今日は、tetsuyaさんの一言で、

遠くの音(感覚)が、自分の中(空間)にあることが分かりました。

気づき(空間)があそこまで届いていなければ、あの音は聞こえないはずだ、

あの音も自分(空間)に含まれている、と思いました。

ラベルを貼らずに物を見る感覚も、おもしろかったです。


もし、今後、何か自分なりに感じたことがあったら、

メールさせてもらうかもしれませんm(__)m

今日は、本当にありがとうございました。



以上、ここまで。

こちらこそ、ありがとうございましたっ。

気づきがあったらぜひシェアお願いします!



このついでにセッションの詳細を書いておきます。


セッションではダグラスの実験だけでなく

ダグラスの直接見る方法(気づき)を使って

自分の内側(源泉)や今(ここ)を探求していきます。


セッションはプロセス志向なので

あまり箇条書きにしたくないのですがこんな感じです。


◇ 自分の 無 を見る

◇ 見えるあるがままと思考の違いを洞察する

◇ 自分の空間性を体験する

◇ もう一人の自己『存在(気づき)』を見つける

◇ 見ることに分離があるかどうかを探求する

◇ その他、プロセス(流れ)にしたがってetc,etc



注意事項もあります。

このセッションをするボクはまったく「行為者」から目覚めていませんし、まだまだ煩悩の塊です(笑)。

そして、このセッションは神秘体験や一瞥を促すようなものではありません。


普段気づいていない、あるがままの自分がどういうものかを探求し、その自分とともにある「私は在る」という存在の感覚に気づいていく、ある意味当たり前で地味な自己体験型のセッションです。

セッションを受けていただく中の方には「だからなに??」のまま終わる方もいらっしゃいますのでご注意くださいませ。



セッション料金を改定いたしました。

今後また戻すかは未定ですが

とりあえず今は60分 5、000円です。




セッションの方法は

1対1の対面セッションです。

スカイプでもお受けいたしますが紙袋などの実験はできませんのであらかじめご了承くださいませ。



場所はJR国立駅より徒歩5分

詳しくは、お申込み時にメールでご案内します。


お申込み、お問合わせは

zerostillness☆yahoo.co.jp

☆を@にして送信してください。




今日は告知みたいになってしまいまして

すみませんでしたっ!



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映画「リーラ(神の戯れ)」の特等席

2014/05/11 18:38
ダグラス・ハーディングはこう言う。

自分が どこ から見ているのかを

直接、見てみれば


自分が本当は どこ にいて

自分が本当は 何者か がわかる、と。


自分がどこから見ているか

今、見てみてください(笑)
画像


この指先ではなく

この指が指し示している

宇宙(世界)の中心である

あなたのさらなる中心(距離ゼロのところ)


常識や記憶や想像など

思考(マインド)を使わずに

見えるそのままを

直接、見てみてください。


そこが、あなたの源泉で

今までも、これからも、どの瞬間も

いつでも、あなたがいるところです。


そこはどんなところですか?

そこで、あなたは色やカタチ

姿を持っているでしょうか?


このブログが初めての人はこちら
   ↓
ダグラス・ハーディングの本当の自分を見る方法


思考を脇に置いた

直接的なボクの経験ではこうです。



ここ(顕現の源泉・非顕現の領域)では

ボクはこの身体を持ったボクではなく(笑)


カタチや色、思考を持たない

姿なき、純粋な観照者です。


事実、この観照者である自己(ボク)は

2つの穴(目)からは眺めてはいません(笑)


四方八方へ放射した

端がない一つの目から眺めていて

その大きな一つの目それ自体でもあります。


それは、まさに

意識のスクリーンであり


そこに、このボク(精神身体)や

この物質世界(顕現)が映し出されています。


(直接見るとあなたもそうではありませんか?笑)



その映し出されている映像は

このボク(精神身体)を通して

映画「リーラ(神の戯れ)」になっていて(笑)


なんと!

ここ(源泉)で自己(ボク)は

純粋な観照者として

この映画「リーラ(神の戯れ)」の

特等席に坐しているのです!(笑)

(超リアル体感型スクリーンの
 
 一番前のど真ん中の席です笑)


このすでに与えられている特等席から

「リーラ(神の戯れ)」主演ボク(笑)を

他人事のようにお気楽に観れたら

ホント、楽しいだろうな〜と、つくづく思うのです(笑)


(本当はすでにそうやって観ているらしい笑)




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そのままの自分

2014/05/09 06:18
まずはどうぞ〜(笑)






今どんな自分?(笑)


ボクはこんな感じ。

首がゴリゴリに凝ってる、胸が痛い(笑)

未来への不安、過去への自責の念

もどかしさ、不安、緊張、怒りetc


ネガティブなことなら

まだまだいっぱい言える(笑)



以前のボクは

自分の状態をすごく気にしていた。


自分のメンタル的な状態や

身体や仕事、経済的な状態らが

自分がどれだけの者か、を

測る物差しになっていた(笑)


でも、今は自分が

どんな状態であろうとも

さして気にはならなくなった。


これって、すっごく楽で平和だ(笑)


これもラメッシ・バルセカールのおかげ。


ラメッシが言うように

今の自分がどうであれ

それが源泉(神)に仕組まれた

DNAや条件付けによる反応ならば

(つまり源泉の意志なら)

今のそのままの自分も

この現実も素直にゆるせる(笑)


で、不思議なことに

そのままの自分を受容するとき

嫌な人もゆるせたりする(笑)


その嫌な人がただ反応しているだけの

かわいい人に見えるときさえある(笑)


で、これから先も

源泉に仕組まれたプログラムによって

選択(反応)がなされ、それ(反応)が

自分をどこかに運んでくれるなら

それもOKかな、とさえ思える(笑)

(それも源泉の意志なら)



これを読んだ人の中には

無力感や虚無感、無責任さを

感じる人もいるかもしれない。


でも、これってそういうことじゃないし

無責任の勧めをしている訳でもない(笑)



湧いてくる思考も感情も

ただの反応として見れる。


どんな選択をして

それがどんな結果であっても

それも源泉(神)の意志と見れる。


これがどういうことかというと


どんな思考や感情が起きてもOKだし

どんな現実でもOK、なんだってOK。


どんな自分でもOKになるということ(笑)


そのとき、しんどい現実も

こんな世界も、そのまま抱擁できる(笑)

自分が開いて広がった感じだ。


こうなっているときは本当にすごく平和で楽だ。

(これが言いたかった笑)


ある意味これは

パラドックス的だけど

自分(エゴ・行為者)から

自由になることかもしれない(笑)


源泉なる無(空)的な自己から

自分(エゴ・行為者)を客観的に見れる。


で、そのうち

この自分(エゴ・行為者)が

自分ではないとわかる (かもしれない笑)


そんな期待をしつつ(笑)

そのままの自分と仲良く戯れています(笑)





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宙ぶらりん

2014/05/07 06:00
たしかに「気づき」という言葉は

気づきを指し示す言葉(概念)であって

気づきそれ自体ではない。

(確かジョーン・トリフソンが言っていた)


「意識」とか「存在」という言葉も

指し示す言葉(概念)であってそれ自体ではない。


にもかかわらず

ボクは、この「気づき」とか

「意識」とか「存在」という言葉(概念)を使って

それら(実在)を探しているみたいだ(笑)



以前、この記事 にも書いたけど

分離があるのかどうかを調べるとき

「分離」とか「主体」とか「対象」という

言葉(概念)を使って調べると

分離はいくらでも作り出せる(笑)

(調べる主体がいるから)


その言葉(概念)を捨てて

そのままを見るとき

分離(概念)というモノはなく

どうにでも解釈できる

見えるそのままが在るだけだ。

(調べる主体が消えると見ることだけがある)



きっと「気づき」という言葉(概念)を使って

探しているうちは「気づき」という言葉の枠では

おさまりきらない実在を分割してしまい

見落としてしまうのだと思う。


これじゃ、ラベルを貼りながら

探求しているのと同じだ(笑)



では、ラベルを貼らなければ

目の前になにがあるのだろう?


どうにでもラベルが貼れる

ニュートラルな、見えるそのままがある。


こっち(内側)を見れば

「虚空」、「気づき」、「意識」、

「単一の目」、「存在」と言えそうな

言葉にするには、あまりにも

奥深そうな 何か が在る(笑)


あっち(外側)を見れば

「気づきの見かけ」「意識の見かけ」

「存在の見かけ」と言ってしまえる

いろんな見かけ(モノ)があるし(笑)


それらをまとめて

一つの動画として見ることもできる。



だから、やっぱり

非二元の先生が言うとおり

今、目の前にある

それがそうなのだろうと思う(笑)


非二元の先生は

神秘的な何かを見ているのではなく

深い理解のところから

なるべくラベルを貼らずに

その概念前の あるがまま を描写しているのだろう。



では、「気づき」とか「意識」とか

「単一の目」とか「認識する空」とか

そんな言葉(思考、概念)のガイドを使わずに


この、今(ここ)にある

そのままのあるがままの中で

宙ぶらりんになってみる(笑)



いつもの同じ風景が違う風景に見える。

分割されていない ひとつ として

瑞々しくて生きてるって感じはする(笑)


これのこと?(ちがうか?笑)


あ! って言うか、これって単に

ラベルが貼られる前、思考以前に在る

主体も対象もない見ること(seeing)だ(笑)



堂々巡りしてまた

ここ(見ること)に戻ってくる(笑)


ここ(見ること)に

とどまれってことかもしれないけど

マインドはつかみたがる(笑)



宙ぶらりんでいるのって

落ち着かなくて居心地が悪いっ!(笑)




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この自分(行為者)はいるのか?

2014/05/05 17:27
思考は勝手に起こるのか、とか

選択は自分がしているのか、とか


ようするに、この自分(行為者)が

本当は存在していない、ということを

調べてみたり思考を観察したりするのは

すっごく、わかりづらくてストレスで(笑)


あげくの果てに何がなんだかよくわからなくなってきて

結局、なにもわからず、つかめずで、本当に大嫌いだ(笑)


にもかかわらず、またこの探求が起こる。


それは衝動のように起きてきて

それを、やらずにはいられないのだ(笑)


きっと、すべて(思考も)は

自動的なのだろうと思うけれど


でも、この思考は、なっかなか

そこらへんのところを納得してくれない(笑)
(疑い深いヤツ笑)



で、さんざんやったあげくに

今は、そんなことどうでもよくなってきた(笑)

(この思考野郎!笑)


で、非二元の賢者ラメッシ・バルセカールのこんな言葉が浮かぶ。

探求しているのはエゴ(行為者)です。エゴ(行為者)は源泉(神)によってそうなるようにプログラムされています。

真の平和を求めるということが、ある人の中ですでに起こっているのなら、それは源泉(神)の恩寵を通じてであり、そのプロセスをさらに推し進めるのは、実に源泉(神)の責任なのです。



なら、徒労に終わるのも源泉(神)の意志だ(ホッ)

自分(行為者)がいないという理解も

やがて向こうからやってくるのだろう(笑)




そんな顛末で、今

探求を止めて我が家に戻ってくる。


我が家とは、この宇宙(世界)の中心である

自分のさらなる中心、このボク(行為者)の源泉。


あなたにもあるそれのことです。
画像


この指先ではなく、指先が指し示しているそれです。

要領を得ない人はこちら
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ダグラス・ハーディングの本当の自分を見る方法



ダグラスの本当の自分を見る方法は

このボク(探求者、行為者)に探求を中止させて

直接、源泉へと還してくれる。



源泉に戻ると

そこに自分(行為者)はいない。


思考は湧いてくるけど

それを自分のモノにしなければ

そこ(源泉)にこの自分はいない。



そこ(源泉)に在るのは

自分(主体)も、対象もない

ただの 見ること(seeing)だけだ。



自分(主体)がいないって平和だ(笑)

世界をそのままに放っておける。


世界を自由(あるがまま)にさせてあげることは

この自分(行為者)から自由(平和)になることなのだ。



今は、この源泉(見ること)にとどまって

それ自体になり (それができればだけど)

この自分の無(空)的さに浸っていたい(笑)



あの探求はなんだったんだろう(笑)



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直接の経験

2014/04/30 06:02
最近 resonanz360 で特集されている

ジョーイ・ロット にはまっています。


ジョーイが連発している これ を

わかりたくて、わかりたくて、しかたがない(笑)


気づきとその内容(見かけ)という

分離がありげな(笑)、今の認識から

分離など一切なく「それがこれだ〜!」って

言えるくらいに、深く理解したい。

(自我ってます笑)


で、暇があれば (ブログも書かず笑)

ジョーイが言う、直接の経験にとどまる、をやってました〜♪


ボクが思うに、これってよく非二元の先生が言う

気づきとしてありなさい的なことだと思うのですが。。。


ジョーイは、それはすることじゃなくて

する前にすでにあることだって言っているけど


直接の経験にとどまるのって難しい(笑)


で、やっていてふと気づいたことがある。


直接の経験にとどまるっていうのは


意識を研ぎ澄まして

身体の感覚を観察するとか

耳をダンボにして音を聞くとか

目を凝らして目の前を見るとか

そういったものではないということ。



そんな、つかもうとする動きを手放して

(これはマインドの仕業だった笑)

逆にもっともっと、自分をゆるめていくものだ。


そうやって、感覚や音に

意識を研ぎ澄まさなければいけなかったのは

思考にあまりにも気を取られすぎたからだ(笑)



で、ボクの場合その湧いてくる思考には

「ただこれ」というラベルを貼るのが効果的だった(笑)


そうすると思考に惑わされずに

思考を意味のないこれとしてやり過ごすことができる。


ゆったりと、車の音を

ただのブーンとして聞くことができ


部屋にあるいろんなモノをごく自然に

ただの色や形そのままを眺めることができる。



そんな感じで、ゆるまってくると

「自分」という輪郭がぼんやりしてきて

今あるのものとの境界もないように感じてくる。


そう感じてくると、その今あるものが

それ自体で生きている一なる全体に感じてきて

(注:これはマインドが作り出すイメージかもしれない)

自分もこの生きた全体の連なりの一部な感じがする。



この生きている一なる全体を これ と呼ぶなら

そのときに聞く、車の音(ブーン)なども分離なく

これ と表現できるかもしれない(笑)



でも、正直に言うと

ボクには今もわからないままだ(笑)



ただ、ハッキリと言えることがあって

湧いてくる思考に「ただこれ」という

ラベルを貼ってやりすごしていると(笑)


思考から自由になって
(多少なりとも笑)

平和になれるし

直接の経験にもとどまりやすい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ひょっとしたらこの平和は

直接の経験によるものかもしれないし笑
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(でもラベル貼りはいつか手放さなければならない笑)


そして、この見て、聞いて、感じている

気づきがそれ自体で在ることがより際立ってくる。


あ、って言うか、ボクの場合

こうやって気づきと見かけを分別させてしまうのだ(笑)



単に流れだと思うけど

今は、この気づきと見かけの間にある

分離の幻想をなんとかしたいな〜って思っている。


で、きっと・・・、思うに〜、それって

本当に目覚めるってことかもしれない(笑)




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私は在る(I AM)

2014/04/26 17:25
ニサルガダッタは探求者によく

「私は在る」にとどまりなさいと言った。


「私は在る(I AM)」ってなんだ?

在るっていったいなんだ?(笑)



ニサルガダッタの愛弟子だった

セイラー・ボブ・アダムソンはこう言っている。


それはいつもあなたとともにある

自然な存在の気づきです。


それは自然発生的で

それ自ら輝いている存在の気づきです。

その存在の気づきの上に世界が現れるのです。と



この、見て、聞いて、感じている

存在の気づきは見つけにくいかもしれない。


なぜなら、存在の気づきは

見えないし、聞こえないしモノではないから

モノであるマインドは

その無(空)的なモノを把握しづらいのだ。


なので、この存在の気づきは

ある意味、非顕現的であっち側にいる

至高の存在みたいだ(笑)


でも本当はずっと近く、というか

自分の根底に在るものだ。



なので、それを探すのには

目を閉じたほうがいいかもしれない。



目を閉じても

気づきは、

闇と闇に浮かぶ光の残像に気づいている。


耳をふさいでも同じだ。

気づきは

音が小さくなったことに

より濃くなった静寂に気づいている。


感覚も同じだ。

感覚に気づいているし

変わるのに気づいている。

身体が無へと朽ちていく様に気づいている。

(思考が翻訳してないときでも気づいている)



想像してみてほしい。

この気づきを止めることができるだろうか?



なにも命令せずとも

気づきは気づいているし


気づきを止めようとしたって

気づきは止められない(笑)


この思考(ボク)が、気づきを

止めることはできないし、どうすることもできない。



気づきはそれ自体で

自ら存在している存在だ。


でも、それでいて

この気づき(存在)は

絶対的にボク自身だ。


「思考の自分」の実態は

つかまえられないけれど


この気づき(存在)は

本当に自然で当たり前に在るのだ(笑)



「私は在る」にとどまるって

この自然で当たり前の自分

この存在の気づきとしてくつろぐことだ。

(気づきは思考しない笑)



そしてついに思考(自分)が

不在になったとき

この身体が景色の一部になり

この自分ではない、非個人的な

『私は在る(I AM)』が露わになるのだ。








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自分がゆるむ

2014/04/23 18:55
最近・・・

自分の人生が期待外れであることが

この歳になってだんだんわかってきた(笑)


そんなダメダメな自分が嫌いだ(笑)


で、こんな自分を嫌いだと書いている

この自分も嫌いだ(笑)



そんな自分を感じてみる。

どんな思いがあるだろうか?


後悔やら自責の念やら自己嫌悪や罪悪感

いろいろな思いが廻っている。



そのどれもこれもが

自分がやったのだ、という

行為者意識からくる苦しみだ。


前は、けっこうラメッシが嫌いだった。
(本を読むたびに無力感を覚えた笑)


でも、ここ最近

ラメッシの言葉に救われている。


もし、ラメッシが言うように

このダメダメなボクの人生にも

神の意志が行き渡っているのなら


これでいいのだ!(歓)と

ボクは心の底から安堵できる(笑)


よく頑張った、いいこ!いいこ!と言って

自分の頭をナデナデしてあげたいくらいだ(笑)


そして、今、浮かんでいる

この後悔やら自責の念やら

自己嫌悪や罪悪感さえも


ラメッシが言うように

DNAや条件付けから

ただ、起こっているだけなら

この痛みを否定したりせずに

そのまま包容することもできる。


そうしようと思う。


自分が行為者かどうかは

まだ、自分にはわからない。


けれど、ラメッシのこの優しい言葉を

自分にも適用してあげたいのだ(笑)



どんな思考も、どんな痛みも、

どんな現実も、それが今あるなら

それが、神の意志だ。


そんな思いを抱いて

今のそのままの自分を

全肯定して包容していると(笑)


「自分」が、ゆるんでくる。


自分は!自分が!自分の!と

自分自分していた自分が、ゆるむのだ。


ゆるむっていい感じだ。

現実に対しても世界に対しても、ゆるんでくる。

(どうぞ、御心がなされますようにって感じで笑)


そして、これがとても 楽 でいい(笑)


こうやって自分(行為者)が

ゆるんでいけばいいな〜と思ってます(笑)







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宇宙の中心

2014/04/21 18:35
今日は月曜日。。。

いや、疲れましたー!


ホントにホント

モノゴトというのは

思い通りにいきませんよね(笑)


で、今、やっと思い出した言葉がある。

それは

御心はなされている、です(笑)


ラメッシ・バルセカールがこう言っている。


起こることはすべて神の意志だ。

神の意志がなければ何事も起こることはない。


ということは


上手くいっていなくても

思い通りにいかなくても

まだ自分が行為者だと思っていても(笑)

憂鬱でいても、腹が立っても

いい人でいれなくても(笑)


なにが、どうであれ

今、そうであるならそれで

御心がなされているわけです。



だったら、まあいっかっ。 と

案外すんなり、あきらめがついて(笑)


そのままの自分と

そのままの現実をゆるせる(笑)


自然と手放しが起きて

起こるモノゴトを放っておける。


今は、欲深い自分は捨てて(笑)

この平和な空っぽさ(源泉)にくつろいでいる。



空っぽ(源泉)が何か分からない人はこちら!
ぜひ動画も見て本当の自分を見つけてください。
     ↓
ダグラス・ハーディングの本当の自分を見る方法



あ、そうそう。

ラメッシの本にこういうことが書かれてある。



私は人生で何をしているのでしょうか?

私はただ、宇宙の中心にとどまって

出来事が起こるがままに眺めています。




宇宙の中心とは

宇宙の中心である自分のさらなる中心

自分の内側、距離ゼロに在る

この源泉(空っぽさ)のことだ。


この空っぽ(非顕現)が

宇宙・世界・人(顕現)の源泉だ。


この源泉にとどまるのが

平和の秘訣なのだ。


ダグラスやラメッシのように、いつも

この源泉から眺められるようになりたい(笑)


御心はなされている・・・

忘れないようにしよう(笑)




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意識

2014/04/20 16:14
ボクも含め、みんな探求が大好きです。

あ、うんざりしている人もいるかもしれませんが(笑)

ひょっとしたら探求を終わらすヒントがここに書かれてあるかもしれない。

先日、 記事で紹介 した resonanz360 という世界にいる非二元に目覚めた本物の先生たちの翻訳文がびっしりつまったサイト。
ここでジョーン・トリフソンという目覚めた人の文章がたくさん翻訳されていて、そのどれもが痒いところに手が届くって感じですごくいいのだ(笑)

その中に 何もつかめない という文章が紹介されている。

ぜひぜひ読んでみてほしい。



いいでしょう?(笑)


非二元の先生はよくこう言います。

探す必要はありません。

今、目の前にあるそれがそれなのだ、と。


探そうとしていた実在

それ、意識、気づき、存在etcは

実は、探すようなものではなく

今(ここ)ある、この目の前そのものが

そのままでそれなのだ、ということです(笑)


そう。 目の前に見えるそれは

意識(気づき、存在)の見かけだったのです。


目の前(見かけ)は変わるけど

永遠の今(ここ)という

不変不動の(見かけの)背景が

意識(気づき、存在)であり

自分そのものだったということです。



これをダグラスの実験で直接体験してみる(笑)

あなたのそこを見てみてください。
画像


この指先ではなく
指が指し示しているあなたの内側(源泉)
そこに、あなたの秘密が隠されています。

要領を得ない人はこちら
    ↓
ダグラス・ハーディングの本当の自分を見る方法


思考(常識etc)は脇に置いて
直接的に今、自分がどうなっているか
よーく、見てみてほしい。


あなたは二つの穴(目)から

見ているだろうか?

あなたもボクと同じように

大きな一つの目から見ていないだろうか?


さらによく見てみてほしい。

実は、あなたはその

大きな一つの目それ自体ではないだろうか?


なぜなら、一つの目の中に

あなたの身体が顕れているから・・・



ボクの経験ではこうです。


ボクはこの

大きな一つの目それ自体です。


なぜなら

この一つの目(自己)のほうが

身体よりも先だって在り

その中に身体が顕れているから。


この一つの目(自己)なしに

この身体はありえないし

この世界もありえないのです。


だからボクはこう言いたい(笑)


この一つの目(自己)こそ

唯一の実在 意識 だ。

(気づきでも存在でも今でもいい)


世界も宇宙も人も自分(身体精神)も

この意識に顕れる意識の見かけだ。


意識に意識の見かけが顕れて

単に、意識が自分を見ているのだ。



分離や主体や対象や

世界や宇宙や自分や

見かけという言葉さえも

みんな思考が作る幻想だ。
(意識の遊び?笑)


思考(ラベル貼り)がなければ

見るもの と 見られるもの が ひとつ

意識(見ることseeing)が在るだけだ。


今、見えるそのままのそれが

意識(見ることseeing)だ(笑)


意識が意識(見かけ)を見ているのだ。


探すもなにも、つかむもなにも

今、この見ている自体意識なのだ。


そう、これ自体だ(笑)







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経験

2014/04/17 18:32
はじめて読む方はこちら!

ぜひ動画の実験で
本当の自分を見つけてください!
    ↓
ダグラス・ハーディングの本当の自分を見る方法



以前のことですけど

ダグラスの見る方法で

自分の空間性がわかってきて


ルンルン気分で、自分が

空間であることを楽しんでいるとき


エレベーターやトイレの個室などの

狭い場所に入ったときとか


歯医者で治療を受けるときや

整体に行ってうつ伏せになるたびに


これってどういうことなんだろう?

ダグラスならこれをどう見るんだろう?と

よく、混乱した(笑)



今では、

狭いところに入っても

うつ伏せになっても

歯医者でキュイーンの最中も

混乱しなくなった。



自分(思考)はなにも

知らない、ということをお勉強した(笑)


知らない。

知らないままでいる。

知ろうとなんてしない。

知ろうとしているのは誰か?(笑)


意味なんてないのだ。


目の前にあるそれがそれ

何が起ころうと

起こるならそれがそれなのだ。



そのまま

見えるまま

聞こえるまま

感じるまま



顕れ変化し消えていくモノと

不変不動の今(気づき)が在ります。



永遠の今(NOW)という

無(空)的な自分に

経験だけが通りすぎていく。



今ではそんな感じです(笑)





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単一の目でお散歩する

2014/04/16 17:13
アクセス数がどかーんと増えた!

なんと!このブログが、resonanz360で紹介されたからだ(嬉!)

resonanz360というサイトは、ヒロさんという方がやっていて、世界にいる現役の非二元に目覚めた本物の先生たちの翻訳文がびっしりで、その希少価値さも情報量からもボクの知るかぎり非二元、アドヴァイタ、ノンデュアリティという目覚め、覚醒、悟りに関する分野では日本でNO1のサイトだ。

で、ボク自身がこのサイトの大ファンだったからとっても光栄に思う。

そして、ヒロさんはサイトだけでなくこんな本も出版している。


わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと
ブイツーソリューション
サリー・ボンジャース

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非二元に興味があるならこの本もresonanz360も絶対読んでみてほしい!

今、非二元がブーム(笑)みたいだけれど
非二元や悟りが本当はどういうものかがわかると思う。


resonanz360の、ボクのお勧めは
ジョーン・トリフソンと現在特集されているジョーイ・ロットだ。
もしかしたら、ボクがそうだったように、あなたのわからないところを明確にしてくれるかも知れない。

本の、わかっちゃた人たち
第4章 まったくの自由、まったくの無秩序 がすごく共感できて最高に最高!でボクの好のみでした。


で、話は変わるけど、この resonanz360 の中に
リチャード・シルベスターのQ&Aがあって、その中でリチャード・シルベスター自身も含めトニー・パーソンズやネイサン・ギルらの解放と呼ばれる出来事が書かれている。

その解放の出来事のシチュエーションが面白い。
リチャード・シルベスターとトニー・パーソンズはお散歩中に、ネイサン・ギルは自転車に乗っていたときに自己の不在(解放)が起きたそうだ(笑)



ボクも、存在(気づき)の

存在感を感じたのは散歩のときだったし

シチュエーションとして、

それが起こるのにはすごくわかる気がする。
(自己の不在はないけど笑)


それもあって、今では

お散歩が大好きになった(笑)



ボクはこんな感じでお散歩をしている。


自分の内側、距離ゼロのところまで

ズームアウトして単一の目から風景を見る。


で、単一の目で、お散歩をする(遊びです笑)


そう、ダグラスの実験です。


自分意識がゆるいときは

自分が歩いているのではなく

風景がボクの中を通り過ぎていく

自分の無(空)的な不動さを経験する。


でも、そうならないときも多々あるし

ダグラスの実験のように

そういうふうに見てとろうとしても

できないときもいっぱいある(笑)


でも、そう見えるように

必死になって練習しようとは思わない。


だって楽しいお散歩が台無しになる(笑)


そういうふうに見えないならそれでいいし

それよりも本当に、本当に

見えるまま、そのままを楽しんだ方がいい。


で、ただ見えるまま(単一の目の自分)と、

起きている思考の違いに注意を向けるのだ。


そうすると

この思考している自分をしり目に(笑)


この単一の目が、それ自体で

ただ、見ている、ことがわかってくる。


単一の目が 見ること として

それ自体で存在しているのだ。


もちろん、あれやこれやと

考えているこの思考も自分だけど
(実はこの思考の自分は幻想)


その自分(思考)とはまったく別に在る

この見ている単一の目(気づき)だって

まぎれもない自分なのだ。


だから、ボクが思うに

リチャード・シルベスターが言っている

私は田舎町を歩いていましたが、

田舎町を歩くということだけがあり、

歩いている人はいませんでした。 は、

散歩中に突如、

自分(思考)が不在になったときに

この単一の目(見ること)が露わになったのだ(笑)
(きっとそうだとボクは思う)


ということで、よろしければ

みなさんも単一の目から

お散歩を楽しんでみてください(笑)


散歩するあなたが不在になり

散歩する自体(見ること)になるかもしれません!
(なるって変な言い方だけど笑)



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